日本の大学は総じて研究機関としての位置付けが強く、教育機関としての機能は軽視されてきました。
高度経済成長後、目的意識もないまま大学に入る学生が大多数を占め、大学は単なる高等教育の延長の場となりつつあります。
「大学」に対してのおかしな認識?
日本では一般に、大学は学歴としての認識が強く、大学名を一種のブランドとして用いることが多いようです。次の3つの視点から、正しい「大学」の位置付けについて考えてみましょう。
Q1「卒業」と「中退」の間にどのくらいの差を見出しますか?
みなさんは「大学卒業」と「大学中退」とで、どの程度の差を感じますか?例えばTVで「あの芸能人は◯◯大中退」と知ると、即座に「意外と頭いいんだ」とプラスのイメージを働かせてませんか?
有名タレントが有名大学に行っていたという意外性もあるのでしょうが、同じ大学という短絡的な理由だけで、この中退者と卒業した方たちを同等に考えるのは正しいことでしょうか。大学名だけで評価し、大学は中退でも卒業でも大差ないと考えてはいませんか?
Q2 「◯◯大学卒」と聞いて学部や専攻をを聞きますか?
「◯◯大学卒」という学歴だけで単純に「頭がいい」と評価しがちです。確かに◯◯大学に入れる学力はあったのでしょう。しかし入学後に何をどの程度習得したかは全くわかりません。成績を気に留める人もいません。大した勉強や研究をしなくても大学を卒業できてしまうのが常識だからでしょう。
Q3 大学進学に求めるものはなんですか?
ある調査によると、大学進学の目的として何を重視しますか?と高校生らに質問したところ、日本の高校生は「友だちを作る」「たくさんの経験を積む」を挙げ、アメリカや中国の高校生は「専門的な能力を身につける」と回答しています。どうも日本には、大学は専門的な能力を身につける場所という認識がないようです。
やりたいことを犠牲にして勉強だけしてきた日本の高校生が、「友だちづくりが第一の目的」と言うのも、「面白おかしいキャンパスライフ」を求めるのもわからなくはありません。しかし大学の持つ社会的位置付けと、あまりにもズレているのではないでしょうか。
「教養課程」はいらないの?
一般的に4年制大学では2年次まで教養(教育)科目を履修します。しかしほとんどの学生が教養と呼べるようなものを学んではいません。なぜなら頭の中の知識は「一夜漬け」なのですから。
さらに面白いことに、大学は自ら教養課程の価値を否定しているとしか考えられないようなシステムがあります。
現在は一定の基準を満たした専門学校(もちろん当校も含む)を修了すると「専門士」の称号が得られ、これを取得した者は、多くの大学の3年次からの編入が可能です。要するに、大学側は、2年間の教養課程は修了しなくてもよいといっているのです。おかしな話ですよね?